好きなことを仕事にして8年、失ったものがたくさんあります

2019年にフリーランスになって、今年で8年目。好きなことを仕事にできていることを、今でもありがたいと思っています。ただ、この働き方を続ける中で失ったものもたくさんありました。今回は、その中でも特に大きかった3つについて書きます。
原貫太 2026.10.17
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私は組織に所属せず、フリーランスとして働いています。

海外へ行って取材をする。YouTubeで動画を作る。本を書く。講演をする。自分がやりたい仕事を自分で選び、働く時間や場所も自分で決める。こうした働き方について、「羨ましいです」と言っていただくことがあります。

実際、私自身も今の働き方を気に入っています。ただ、外から見えるのは、どうしても良い部分が中心です。

先日、友人とこのテーマについて話している中で、好きなことを仕事にしたからこそ、失ったものもたくさんあることに改めて気づきました。

1.仕事とプライベートの境界

一つ目は、仕事とプライベートの境界です。

先日、友人と遊んだ日のことです。仕事から少し離れて、その時間を楽しむつもりでした。

でも、頭の中ではずっと仕事のことを考えていました。公開した動画の再生回数が思ったように伸びていない。タイトルが悪かったのか。次は何の動画を作ろうか。あのテーマなら伸びるかもしれない。

そして自分でも少し嫌だなと思ったのが、「この時間が終わったら、早く次の仕事をしたい」と考えていたことです。せっかく友人と一緒にいるのだから、今この時間を大切にしたい。相手にも失礼だし、自分にとってももったいない。そう思う一方で、次の仕事について考えている自分もいます。

もちろん、会社で働いていても、仕事でミスをしたり、何か問題が起きたりすれば、家に帰ってからも仕事のことを考えるでしょう。ただ、私の場合は、自分の名前で仕事をしています。動画を出せば、再生回数もコメントも自分に返ってくる。自分が動かなければ仕事は進みませんし、誰かが「今日はもう仕事をしなくていい」と止めてくれるわけでもありません。

時々、本当に誰かに止めてほしくなることがあります。

さらに、私の仕事は「発信」です。友人と話していて面白い話が出れば、「これは記事にできるかもしれない」と考える。海外へ旅行しても、「自分が発信するとしたら、この場所をどう伝えるだろう」と考えてしまいます。

それ自体が悪いとは思いません。私はアウトプットすることを前提にしたほうが、目の前のものをよく観察できます。発信するつもりで世界を見るからこそ、気づけることもあります。

でも、その一方で、何も考えずに遊んだり、友人と話したり、ただ休んだりすることは、以前より難しくなりました。

仕事と生活を無理に切り分けず、好きな仕事と一緒に生きていく。以前の私は、そんな働き方を理想的だと思っていました。でも、実際に続けてみると、仕事とプライベートの境界が曖昧になることが、必ずしもいいことだとは思わなくなりました。

2.自分で仕事の価値を判断する感覚

二つ目は、自分の仕事の価値を、自分のペースで判断する感覚です。

特にYouTubeでは、自分が作ったものへの反応がすぐに返ってきます。再生回数、登録者数、コメント、視聴者の反応。動画を公開すれば、数時間後には、その動画がどれくらい見られているのかが数字として見え始めます。

もちろん、それには良い面もあります。視聴者が何を求めているのかを知ることができますし、発信を仕事として続けていく以上、数字を見ることは必要です。

でも、評価があまりにも早く、分かりやすく返ってくることで、その数字に自分の気持ちまで引っ張られるようになりました。

たとえば、私はウガンダ北東部のカラモジャという地域まで行き、現地で取材しました。撮影にも編集にもかなりの時間を使いました。

それでも、公開した動画が思ったように見られないと、「こんなに頑張って作ったのに、全然見てもらえない」と落ち込みます。

そして、それが続くと、「そもそも、この取材には価値がなかったのではないか」とまで考えてしまうことがあります。本当は、自分が大切だと思うから取材をしているはずです。でも、再生回数が少ないだけで、その仕事の価値そのものまで疑い始めてしまう。

自分が大切だと思うことと、数字になることは、必ずしも一致しません。

頭では分かっています。それでも、何年も発信、特にSNSでの発信を仕事にしていると、少しずつ、自分の仕事を評価する基準を数字に持っていかれます。

友人と話しながら、これは、仕事によっては逆の悩みもあるのだろうと思いました。自分がやっていることへの反応がなかなか返ってこない。何カ月、何年と仕事を続けても成果が見えにくく、「何のためにやっているんだろう」と感じることもあると思います。

私の場合は、逆にフィードバックが返ってきすぎます。ほぼ毎回、結果が数字で返ってくる。その数字に一喜一憂しているうちに、「そもそも何のためにこの仕事をしているのか」という、もっと長い視点を見失ってしまうことがあります。

数字が伸びれば、もちろん嬉しいです。でも、よく見られた動画が、必ずしも誰かの中に長く残るとは限りません。逆に、再生回数はそれほど多くなくても、見た人の中に何かを残せる動画もあります。

そのことを忘れて数字だけを追い始めたら、私は本当に「数字の奴隷」になってしまうと思います。

3.「原貫太」の外側にいる自分

三つ目は、自分自身のアイデンティティについてです。

最初に強い違和感を覚えたのは、数年前に参加したあるイベントでした。100人ほどが参加していて、イベントが終わった後、たくさんの方が私のところに来てくれました。何十人もの人と握手をして、「いつもYouTubeを見ています」「応援しています」と声をかけてもらいました。

もちろん嬉しかったです。自分が時間をかけて発信してきたものを、誰かが見てくれている。それを直接伝えてもらえることは、今でも大きな励みになります。

ところが、その日の帰り道、一人で歩いている時に、ふとこんなことを思いました。

「あれ。本当の俺って、どれだっけ」

自分でも少し怖くなるような感覚でした。

人にはいろいろな顔があります。発信者としての私。友人と話している時の私。家族の前にいる私。どれか一つだけが本当の自分というわけではないと思います。

ただ、発信の仕事を続ける中で、「YouTuberの原貫太」「海外で取材する原貫太」「国際問題について話す原貫太」という仕事上の自分が、どんどん大きくなっていきました。

周囲から期待される自分と、一人の人間としての自分。その境界が、自分でもよく分からなくなっていったのです。

周りから見えている「原貫太」に合わせて生きなければいけないような感覚もありました。「自分は何者なんだろう」と、本気で分からなくなることもありました。

そして、その感覚が特に強かった時期、私は精神的にもかなり不安定になりました。

その苦しさから逃れるように、私はお酒に頼る時期がありました。

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